リンダリンダな人生
自分は古い考えの人間であるのだと思う。
当時小学校6年だった僕はブルーハーツのリンダリンダを聞いて泣いた。
「ドブネズミみたいに美しく」 「ドブネズミみたいに誰よりもやさしい」
小学校6年の時、母親は僕らを置いて出でていった。
妹は小学校3年、弟は幼稚園の年長。
僕は長男だった。その時初めて自覚した。
弟と妹を守らなければならないと。でもそれから10年がたとうとしている。
二人はしっかりと成長している。
良くも悪くも父のおかげだと感じる。いろいろあった、父を殴ったことも父に殴られたことも。
今、「リンダリンダ」を聞いても涙が出るのは家族の温かさからかもしれない。
もう一つ理由がある。それは友達である。彼らは自分の家族がどうなっていたかなど知らない。でも、それでもそばにいてくれた。
自分は友達を勝手に家族に置き換えて考えていたのかもしれない。
こんな書き方をすれば怒られるかもしれないが、こんな文章が読まれることはまずないという前提で書く。
「みんなドブネズミのようにやさしく」「ドブネズミのように温かかった」
そして愛の意味を教えてくれた。
本当に今の自分があることはありがたいことだと感じる。
そんなつながりを持てた自分は本当に幸せであったと思う。
だから今自分は
「一人でいたくない人が一人でいないでいい社会」
になるために「とらかきクラス」を通して子供たちにつながれる場を作ろうとしている。
もしこれが多くの人に必要とされ、社会的に意味のあることであると実感できるのならこれほどうれしいことはない。
ただ不安は今まで育ててくれた親に心配をかけてしまうことだ。初めて見つけた自分のやってみたいことを続けてみたい。
でもなかなか言えないでいる。
子供たちに勉強以外の学んでほしいことを指導でき、また自分が幸せで入れた要因となった仲間、友達を作れるきっかけとなったら幸せである。
先日亡くなられた野村克也さんの『野村克也人生語録』という本にこんな言葉がある。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする』
人の上となれる人間になりたい。
来年には就職をするべきか、それとも、、、、
20代は1度しか来ない。世のため人のために生きるために自分の一生を使ってみたい。
決断の時が迫ってきているように思う。
坂本龍馬のように自分にとっての脱藩をするべきか迷っている。
><a